2019.6.2〜4
▲能勢電鉄  1703F(1700系)  妙見線  2019.5
もう一方の川西能勢口駅方向は「勇退」表記のデザイン
でした。旧阪急2000系時代を含めると約59年間、
能勢電鉄として約18年間、長い間ご苦労様でした。
1700系は残り4編成となりました。


2019.6.5〜7
▲クハ200-139   大阪東線   2019.4
鮮度落ちとなりましたが、3月16日(土)に大阪東線が全線開通しました。
それが分かるように、城東貨物線時代の有名撮影地だったこの場所(通称:赤川鉄橋)で
全線開通のHMを掲げた201系に照準絞りました。
久宝寺〜放出間ず開業したから、放出〜新大阪間の開通に漕ぎ着けるまでに11年も
掛かったことになります。更に構想では、新大阪から梅田貨物線を利用して、2023年の
春に開業予定の北梅田駅(仮称)まで運転を延長するとか・・・。

2019.6.8〜10
▲クハ201-123   大阪環状線   2017.9
2005年(平成17年)12月15日から大阪環状線で
運用を開始した201系が、6月7日(金)午前11時19分
京橋駅着の運用を以て、同線から姿を消しました。
さようなら、オレンジバーミリオン・・・。

2019.6.11〜13
▲(左)クモヤ145-1052   (中央)クモヤ145-1003   (右)クモヤ145-1007   吹田総合車両所   2019.5.18
昨年は、台風の影響で開催されなかった「吹田総合車両所」の一般公開。
今年は同所のリニューアル工事(建物の建て替え、耐震補強)が今春から始まることを見据え、いつもの時期より早い5月18日(土)に開催されました。
同工事は2028年度末までの予定なので、それまでの間は一般公開されることはないんやろなぁ〜と思い、生憎の天気でしたが出区してきました。
先ずは、撮影会用スペースの入口に出迎えていたクモヤ145の3並び。本当は1枚の画として撮りたかったのですが、架線柱等の障害物等があったり
被写体までの距離が近過ぎて広角レンズでも撮れなかったので、やむなく3分割の画でその様子を表現してみました。(^_^;

2019.6.14〜16
▲クハ683-5503&クロ381-1104&117系   ▼クモハ105−513
吹田総合車両所   2019.5.18

先程のクモヤ145の隣には、683系、381系、117系、105系が鎮座していました。
因みに、381系の愛称幕は「こうのとり」でした。

2019.6.17〜19
▲クモハ322-22&クハ201-63   吹田総合車両所   2019.5.18
そして、その隣には大阪環状線新旧の並びが。
323系の方はピカピカの車体にハローキティのラッピングが施され、
対照的に201系の方はLEDの行先表示が撤去された悲しい姿でした。


2019.6.20〜22
▲上:クハ105-3&クモハ227-1014&117系&683系
吹田総合車両所   2019.5.18
そして、向かい側には105系、227系1000番台、117系、683系が鎮座していました。


2019.6.23〜25
▲上:クハ116-318&クハ200-141  ▼下:223系(U@tech)
吹田総合車両所   2019.5.18
帰る方向に場所を移すと、またまた201系が。今度は117系との並び。
117系の表示幕が「ホリデー」となっていました。関西にそんなんあったっけ?
そして、201系の隣奥には、引退した「U@tech」の姿がありました。


2019.6.26〜28
▲モハ52001   吹田総合車両所   2019.5.18
最後に、正門前に保存されている準鉄道記念物のモハ52001号電車(通称:流電)。
説明板に書かれている内容をそのまま抜粋すると・・・
『この電車は、戦前京阪神間の急行電車として活躍した流線型電車の第1号である。
かつては3色に塗り分けたスカート付の斬新な車体、京都⇔大阪間36分、
大阪⇔神戸間28分と抜群なスビート関西省線電車の名をとどろかせた。
戦後は阪和線、飯田線に転じた。時は移り、遂にレールから去ることになった。
ここに在りし日の姿をしのび復元保存する。最大運転速度95km。昭和11年製造。』
吹田総合車両所のリニューアル工事後、この車両はどこに保存されるんでしょうね・・・。

2019.6.29〜7.1
▲9901F(9000形)   北大阪急行   2019.5
9000形「POLESTARU」が2019年4月28日に営業を開始して
5周年を迎えることを記念して、4月21日(日)から9000形2編成に
ご覧のようなヘッドマークが掲出されています。

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